こんばんは!かるぅです。
今日はいつも通りではなかった。
普段ならジムへ行っていましたが、今日は私用で行かなかった。
一回でも休むとなんだか不安になりますね。
今日は昼間忙しかったかわりにいつもの塾はありません。
僕の塾は5週目はお休みなのです。
しばらく忙しかったので、個人的には嬉しい。
ですが、授業することも楽しいのですこし残念。
これから夏。じめじめしてきます。
代謝が良いので、生徒らに汗臭いと思われないかとかも心配になって来る時期です。
この流れ、商品紹介みたい(笑)
そんなことはないです。
ただの愚痴。
ずっと春と秋ならいいのになぁ。
さて、今日は雑学か時事かどちらにしよう。
楽しい方が良いので雑学にします!
今日取り上げるのは、朝にも話した平禅門の乱です。
この乱は有名ではないのか、変換で出てこない・・・
この事件で滅ぼされた平頼綱は聞いたことがありますよね。
そうです。霜月騒動です。
この政変では、有力御家人であった安達泰盛とその一族らを平頼綱が滅ぼしました。
これにより平頼綱は実権を握り、安達泰盛の弘安改革を否定しました。
その後、平頼綱は権威を振るいました。
しかし、源惟康が惟康親王となった頃、彼の政治は恐怖政治となっていきました。
第9代執権北条貞時は、そんな平頼綱に支えられて自らの専制体制を敷きましたが、しだいに不安を感じるようになります。
そしてついに、鎌倉大地震の混乱に乗じて襲撃を命じました。
死因としては自害だそうですが、平頼綱と同じ内管領であった飯沼資宗も討たれます。
飯沼は一族100名近くが死亡。貞時の娘2人も死亡しています。
霜月騒動に比べるとあっけない感じがするため、あまり印象に残っていないか、授業ですらやってるか分かりません。
しかし、霜月騒動とのつながりもわずかにある(平頼綱に関して)のは面白いところです。
どうですか?平禅門の乱について少しは知ることができたでしょうか。