こんばんは!かるぅです。
昨日の投稿はどうでしたか。
かなり簡潔に本能寺の変についてお話しししました。
詳しく知りたい方は、今後かるスタディで詳細に書くのでそちらをお楽しみに!
今日はお休みなので一日家にいたのですが、昼間にすごい雨が降りましたね。
関東圏の方だけですかね・・・
屋根を突き破るかのような大雨でした。
今週から、僕の通っている大学でも対面授業が始まりました。
学籍番号の偶数と奇数で分けられていますが、久しぶりに登校できます。
僕は金曜日に行く予定です。
久しぶりなので楽しみな反面、面倒くさい(笑)
明日は母校訪問もあり、忙しいですが頑張ります!
さて、本日は沙基事件についてお話ししました。
しかし、これについて詳しく・・・というかこの事件自体知っている方は少ないと思います。
なので、軽くお話ししたいと思います。
まず、五・三〇事件は覚えていますか。
そうです、僕が昔に書いたものですね。
ちょうど一ヶ月ほど前に。
五・三〇事件は上海で起きたデモに対して、イギリス人警官の命令で、中国・インド人の警察が発砲、13人が射殺された事件です。
これについて詳しくは過去の記事を探って下さい💦
この五・三〇事件が沙基事件とどんな関係があるのでしょうか。
沙基事件で起きたのは”反英”デモです。
実は五・三〇事件の後、反帝国主義運動の声が高まっていったのです。
各地でストライキが起きるなど、各地に広がり、五・三〇事件と同じ年の1925年、沙基事件が起こります。
この事件では10万人を超える大規模なデモ隊へと発展し、広州の沙基へ集まろうとしている際、駐屯していた英仏の兵隊が発砲。
52人以上が死亡し、170人ほどが負傷しました。
沙基というのは通りの名前で、現在は「六二三路」と呼ばれる大通りになっています。
また、近くの公園には記念碑も建っています。
どうでしたか、これでだいたいはこの事件について説明できたんです。
五・三〇事件は確実に習うと思いますので、こちらも一緒に覚えておいてはいかがでしょう
中国は、なにかとイギリスともめることが多いですね。
みなさんの意見もお待ちしています!
また明日!