今日から雑学の趣向を変えてみます。

こんばんは!かるぅです。

 

 

今日は突然の雨に降られました。。。

 

 

折りたたみ傘は持っていたんですが、家まで50メートルほどだったので走りました。

 

 

しかし、かなり大粒でたくさん降ってきたのでびしょ濡れ。

 

 

ちょうど母校でいただいた書類もあったのですが、なんとか守りました(笑)

 

 

そうなんです。

 

今日は来年度の教育実習に向けて、希望している旨を伝え書類をいただいてきました。

 

 

僕はあまり緊張しない人なので、緊張はしませんでした(笑)

 

 

担当して下さった方も、当たり前ですが良い方で安心しました。

 

 

当時、部活動で顧問をされていた先生にも会ってきました。

 

 

僕は中学の頃に比べてだいぶ変わったので、最初は気づいてくれませんでした(笑)

 

 

久しぶりに内装も見て、懐かしさを感じました!

 

 

また書類を提出に伺うので、そのときに会える先生方も楽しみです。

 

 

 

さて、今日はスロイスの海戦が起きた日です。

 

 

・・・といつもやっているのですが、朝にツイートした内容とは別のものを紹介した方がいい気がしてきました、最近。

 

 

なので、その日の出来事で、朝ツイートで紹介していない出来事を紹介しようと思います!!!

 

 

一日で2つも知識が増えますね!

 

 

というわけで、今日紹介するのは「蛮社の獄」です。

 

 

蛮社の獄とは、天保10年に起きた言論弾圧事件です。

 

 

日本史を習っている人は、聞き覚えがあると思います!

 

 

高野長英渡辺崋山らが、モリソン号事件や鎖国などの対外政策を批判したことで逮捕された事件です。

 

 

モリソン号事件とは、天保8年に日本人漂流民を乗せたアメリカの商船を、日本の砲台が砲撃した事件です。

 

 

相手は商船で武器もなかったため、日本を離れました。

 

 

しかし1年後、マカオで保護された日本人が乗っており、その送還と通商のために来ていたことが分かりました。

 

 

この事件のこともあり、異国船打払令に対する批判が強まりました。

 

 

この事件が発端となりました。

 

 

幕府ではこのモリソン号事件に関する評議が行われ、それを聞いた高野長英は匿名で「戊戌夢物語」を著しました。

 

 

これは幕府の対外政策を肯定しつつ、婉曲に批判する内容でした。

 

 

渡辺崋山も「慎機論」を著しました。

 

 

しかし、内容に一貫性がなく、幕府を激しく批判するだけの内容になっただけでなく、彼の役職上匿名で発表することができず、草稿のまま放置してました。

 

 

「戊戌夢物語」は世に広まり反響を呼び、また、「慎機論」は蛮社の獄における家宅捜索で発見されてしまいます。

 

 

なお、渡辺崋山蛮社の獄の対象となったのは「初稿西洋事情書」という、幕府に対する意見書です。

 

 

これが「慎機論」とともに断罪の根拠とされました。

 

 

以上が有名な部分になります。

 

 

概要だけを知りたいのであれば、これだけで充分だと思います。

 

 

他にも無人渡航計画の話や江戸湾巡視の話など、細かく話せば長くなる話はあります。

 

 

そちらは例によってかるスタディで公開させていただきます。

 

 

蛮社の獄

 

 

名前だけでも知っておくと良いかもしれませんね!

 

 

 

また明日!