恐ろしい10箇条

こんばんは!かるぅです。

 

 

今日は午前中に買い物に行きました。

 

 

8月から夏期講習があり、そのためにスラックスなどを買いました。

 

 

今年の夏も暑いので、涼感のものを選びました。

 

 

これを使って頑張ります!

 

 

その後はスーパーへ。

 

 

昨日テレビでやっていた、小さなビールが売っていたので買っちゃいました。

 

 

あとはパンケーキとチキンとメープルシロップがあれば!

 

 

何の番組か、分かりますかね・・・?

 

 

 

帰ってからは、「ゲド戦記」を見ました。

 

 

実は初めて見たのです。

 

 

なかなか面白かったですね。

 

 

少し怖かったシーンもありましたが・・・

 

 

現代人が学べるような言葉もありましたね。

 

 

気になる人は、ぜひ見てみて下さい!

 

 

 

さて、今日の朝はゴローニン事件について話しました。

 

 

捕らえられたゴローニンは、翌年に拿捕された高田屋嘉兵衛の尽力により、ゴローニンは釈放されました。

 

 

この釈放によって、悪化していた日本とロシアとの関係が改善されることとなりました。

 

 

また、ゴローニンが帰国した後は日本での捕囚生活に関する手記を執筆し、出版しています。

 

 

「日本幽囚記」はロシア人が書いた初の日本人論でもありました。

 

 

日露関係なので、教科書で取り上げられることは多いですね。

 

 

 

さて、他にも多くの出来事が起こってきました。

 

 

まず紹介するのは「オーストリア最後通牒」です。

 

 

これは1914年にオーストリア=ハンガリー帝国からセルビア王国に出された外交文書です。

 

 

最後通牒とは、外交における最後の要求であり、これを受け入れなければ交渉を中止する意思の表明です。

 

 

この「オーストリア最後通牒」は同年6月28日に発生したサラエボ事件を受け、10箇条の要求を行いました。

 

 

セルビア王国は10箇条の内、2つの一部分を除く全てに同意しましたが、これを不満としたオーストリア側は国交断絶に踏み切りました。

 

 

その3日後には宣戦布告し、第一次世界大戦の開戦となりました。

 

 

サラエボ事件第一次世界大戦のきっかけだというのは有名ですが、開戦のきっかけはこの最後通牒ですね。

 

 

ちなみに、この10箇条の要求をすべて受け入れるのは不可能であるとも言われ、サラエボ事件によるオーストリアの侵略を正当化するための論拠づくりだといわれています。

 

 

僕はこの要求を調べましたが、5つ目と6つ目の帝国政府の機関を介入させることは難しいだろうと思います。

 

 

それ以外の全ての要求を受け入れたセルビアはすごいです。

 

 

なので、実際にはサラエボ事件が起きたときから第一次世界大戦をするつもりだったのでしょう。

 

 

 

いかがでしたか。

 

 

歴史も細かく見ると面白いですね。

 

 

 

 

また明日!