こんばんは!かるぅです。
今日は久しぶりに遅く起きた月曜日でした。
先週までは、大学の授業があったので7時前には起きていたのです。
休みなのに早く起きるのはなぁ~って思ってゴロゴロしていました。
課題も全て終わって、しがらみのない状態ってすてき。
将来はこんな感じで毎日映画見てブログ書いて過ごしたいな。
そのためにも、今はこつこつとやっていくしかないですね。
家から出ないで授業準備だけしているので書くことがない(笑)
今日は「ウォール街」という映画を見ました。
株で儲けたくなりますね(笑)
そういえば、エンタメブログってどう書けば良い・・・?
学んでおかないといけませんね。
さて、今日の朝は「ポツダム宣言」について話しましたね。
みなさんはポツダム宣言と聞くと8月15日だと思いますよね。
もちろん、国民に対して発表されたのは8月15日です。
しかし、広く見れば受諾する前に発表があるはずです。
その発表が7月26日でした。
イギリス首相、アメリカ合衆国、中華民国政府主席の名において発され、ソビエト連邦は後から加わりました。
宣言文のほとんどはアメリカ合衆国が作成し、イギリスが修正を行っただけです。
ポツダム会談で話された内容なので中華民国などは関わらなかったんですね。
このように、学校で習ったことを深く調べることは何においても大切です。
他にも多くの出来事がありました。
まず紹介するのは「広安門事件」です。
これは1937年の7月26日に起きた中国軍による日本軍への襲撃事件です。
1937年といえば、気になりませんか・・?
そうです、日中戦争中ですね。
さらに前日には廊坊事件も起きています。
日本軍はこの廊坊事件と広安門事件を受け、和平解決の望みが絶たれたと判断しています。
当時は豊台において日本軍が包囲されており、一方日本軍は新たな軍が天津地区に到着するなど、お互いに緊張が高まる中での事件でした。
また、計19名の死傷者も出ています。
次に紹介するのは「キューバ革命」です。
これはカストロ、ゲバラらが中心となった、バディスタ政権を打倒した武装解放闘争です。
この中できっかけとなったのが「7月26日運動」です。
カストロらの小隊がモンカダ兵営を襲撃しました。
この襲撃は失敗し逮捕されましたが、2年後の選挙の後に解放されています。
キューバ革命は1958年12月31日に勝利が決定的になり、翌年元日にハバナを制圧し勝利が確定しました。
いかがでしたか。
キューバ革命については書きたいことも多いので、かるスタディでまたお話ししますね。
また明日!