こんばんは!かるぅです。
今日はまた朝から蒸し暑い日でしたね。
窓からは青空も見えていて、気分だけは涼しげでした。
今日は夏期講習前最後の塾があります。
午前中はその勉強をしていました。
「講習」なので普段の授業よりも僕が話すことが多くなりそうです。
10日間連続なので、のどを壊さないように気をつけます。
のど飴はたくさんあるので、毎日なめとく(笑)
数学と理科で2教科任せていただいているので、十分に体調に気遣って頑張ります。
さて、今日の朝はレッドパージについて紹介しました。
まずはこれについて話します。
概要はツイートにある通りなのでそちらを確認下さい。
このレッドパージが始まったのは1950年7月28日でした。
しかし、それ以前から日本共産党の非合法化の流れがありました。
同年5月にそれを示唆したマッカーサーは6月6日と6月26日に日本共産党中央委員の公職追放や国会議員6名の失職をさせています。
また、同年7月には9人の日本共産党幹部に逮捕状が出る「団規令事件」も発生しています。
こうした流れの中で始まったのがレッドパージです。
初日であるこの日に朝日新聞社72人、毎日新聞社49人、読売新聞社34人、日本経済新聞社10人、日本放送協会104人、時事通信社16人、共同通信社33人が解雇されました。
このような公職追放の指令は1952年に解除されました。
しかし、レッドパージを受けた一般の労働者で復職したものはほとおどおらず、再就職も難しかったそうです。
多くの人はレッドパージっていう名称とマッカーサーとか公職追放とかが頭に残っていると思います。
なんとなく思い出しつつ、+αでなにか学んでくれていたらと思います。
他にも多くの出来事が起きています。
次にお話しするのは「地租改正」です。
1873年、明治政府が地租改正法と地租改正条例を公布しました。
それまで年貢や田祖を納めていましたが、それに代わり地価の3%の地租を定めました。
多くの影響がありましたが、僕が特に学んだ(?)のは安定した税収確保です。
年貢で納める場合、農作物の豊凶により税収が変動します。
不作が続けば政府にとってかなりの痛手です。
しかし、地価の3%と定めることで安定した税収を得られます。
しかし、農民の負担は増えました。
地価の3%はかなり高い税率ですからね。
このような政策に関することは、政府だけでなく市民側にも立って考えられると良いですね。
これは社会科だけでなく、入試全般で大事です。
話が逸れましたが、この地租改正では他にも影響がありましたし、その後も興味深い内容です。
かるスタディで詳しく書きたいと思います。
いかがでしたか。
聞いたことあるお話を中心にしました。
思い出して楽しんでくれていたら幸いです。
また明日!