こんばんは!かるぅです。
今日は最後の夏休み!
いろいろとやらなければいけないこともありましたが、サボりました(笑)
最低限やることはやったので、少しだけ早く寝ようかなと。
明日から雑学を喋ることは少なくなりますが、日記だけでも面白くしていくのでよろしくお願いします!!!
今日もジムへ行ったのですが、明日から大学が始まり来る機会が減ると思うと悲しい気持ちでした(笑)
もちろん、全く行かなくなるわけでもなく、オンラインで受講することが可能な場合は積極的に行きたいと思っています。
振られた彼女に会ったとき、少しでもいい格好したいですからね。
さて、今日の朝は「比叡山延暦寺焼き討ち」について紹介しました。
これは織田信長によって行われた戦いの一つとして知られています。
この戦いで信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われています。
比叡山は京都を狙うものにとっては重要な拠点となっており、信長はここを無力化することが大事だと考えていました。
この考えは、当時反信長連合による「信長包囲網」が敷かれていたからです。
比叡山は坊舎も多くあり、兵を集めるには適していました。
延暦寺による金の贈与と攻撃中止が懇願されましたが、信長はこれに応じず、1571年9月30日に総攻撃を命じました。
『信長公記』によれば、施設を一つ残らず焼き払い、僧侶や児童なども一人ひとり首を切るよう命じていました。
怖いですね・・・
しかし、そんな中で興味深いお話があります。
それは、施設の多くはこれ以前に廃絶していた可能性が指摘されていることです。
昭和後期に行われた発掘調査によれば、この時に焼失したであろう施設は根本中堂と大講堂のみだったそうです。
墓の場所での焼土層はこの焼き討ち以前に廃絶していた可能性が高いのです。
また、大量虐殺についても誇張されすぎているのではないかともされています。
この発掘調査にかんして考古学者である兼康保明は「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」と結論づけています。
たしかに、歴的には暴虐であるイメージがあるので、これが覆るとなるといろいろ恐ろしいですね。
いかがでしたか。
この焼き討ちに関するみなさんの意見も聞きたいですね。
詳しく知りたい方は下記の本で詳しく書かれているのでぜひ!!
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また明日!
おやすみなさい!