こんばんは!かるぅです。
今日は連休2日目。
コンタクト付けない日が2日連続なのが珍しい。
明日もお休みの予定なのでコンタクト付けないかな。
ゆっくりできる日があるのはとても嬉しい。
午前中には9時くらいまでベッドにいました。
こんなの久しぶり。
暑くて大変だったけど(笑)
午後から頑張るために散歩もしました!
久しぶりにちゃんとゲームもしています(笑)
あとは映画を見ながらお酒も飲んで、優雅に過ごしました。
これから少しでも今日みたいな日が増えると良いなぁ。
さて、今日は朝にお話しした五・三〇事件についてお話しします。
この事件は1925年に中国の上海で起きました。
ツイートでもあったとおりですが、厳密に言えばイギリス人警部の命令で中国人やインド人の警官が発砲しました。
この発砲により学生・労働者ら13人が死亡、40人あまりが負傷しました。
また、これをきっかけにゼネストに発展しています。
6月にはデモ隊が射殺されたことに反発した運動(省港大罷工など)が頻発し、香港などでは10月まで続きました。
では、この事件はなぜ起こったのでしょうか。
それにはいくつかの理由があります。
ざっくり言えば、大きな混乱があったということです。
1924年頃、上海では深刻なインフレに見舞われていました。
しかし、そんな中で追い打ちをかけるように孫文が死去(1925年3月)。
以降、中国国民党(現在は野党)や共産党は反帝国主義運動を活発化させました。
そして、上海市民たちは劣悪な労働環境や12歳未満の児童に対する労働禁止法可決について、不満や反感を募らせていったのです。
その結果、不満を爆発させた彼らは機械を破壊する(ネオ・ラッダイト運動)などの暴動を起こし、学生はビラを配り抗議活動も行いました。
この事件は、広東国民政府成立の後押しになったなどと評価されています。
行動力のある学生・労働者で尊敬します。
今の日本でも、いつでもが起きてもおかしくないくらい政府は無能です。
保身か知らないですが、急進的なことでもやるような政治家か必要ですね。
昨日は最後の挨拶忘れていました!
今日から気をつけます(笑)
また明日!