10日までに提出する書類を今書いてます。

こんばんは!かるぅです。

 

 

今日は家から一歩も出ませんでした。。。

 

 

先週は大学に行ったのですが、今週は行かず。

 

 

しかも作成しなければいけない書類もあって、忙しかったです。

 

 

簡単な書類なんですが、調べたり考えたりして1枚1時間くらい。

 

 

それがもう1枚あります。

 

 

課題もやらなければいけないので、今日と明日でなんとか完成させます。

 

 

大変です・・・・

 

 

午後はいつもの授業を受けました。

 

 

そこではスピーチがあったのですが、普段から人前で喋っているので一番美味く喋ることができた気がします。他の学生よりも(笑)

 

 

今日は塾もないので、作業を含めてゆっくりします。

 

 

 

さて、今日の朝は盧溝橋事件について紹介しました。

 

 

まずはこれについて話します。

 

 

ツイートの通り、1937年に起きたもので日中戦争の発端となりました。

 

 

この事件は日中戦争に関わることであり、多くの人が知っていることと思います。

 

 

実際に、近代史を学ぶならばかならず取り扱うことでしょう。

 

 

なので概要だけでも話したいと思います。

 

 

これを読んでからだと、僕のかるスタディでの説明も分かりやすくなると思います。

 

 

まず、この事件は日本軍が駐屯地で演習をしていたことから始まります。

 

 

この演習について、中国側に通知はしていましたが、中国側は許可を出していません。

 

 

これだけを聞くと日本が悪いように思いますが、北京議定書では駐留軍に演習権が求められており、中国側の許可も不要となっています。

 

 

しかし、実際に演習を行っていたのは議定書に定めていない場所でした。

 

 

つまり、日本軍に非があります(笑)

 

 

この演習を目撃した中国兵が、演習を行っていた隊に対して実弾を発射しました。

 

 

これが7月7日の午後10時頃で、盧溝橋事件の始まりです。

 

 

ここから先はかるスタディで詳しく書きます。

 

 

そちらもご覧下さい!

 

 

 

次に、他にも今日の出来事をお話ししたいと思います。

 

 

まずは「ハバードトンの戦い」です。

 

 

これはアメリカ独立戦争中の1777年に起きました。

 

 

さらに細かい分けた方をすれば、サラトガ方面作戦中の戦いになります。

 

 

この戦いはイギリス軍と大陸軍で行われました。

 

 

結果としては「イギリス軍の戦術的勝利、大陸軍の戦略的勝利」と言われています。

 

 

イギリス軍は7日の早朝に奇襲を仕掛け、大陸軍を後退させることができました。

 

 

防衛戦を形成されたこともあり、かなりの激戦になりましたが、援軍の到着などにより結果的には相手を蹴散らすことができました。

 

 

一方の大陸軍は、イギリス軍の追撃を免れることができました。

 

 

ただ免れただけではなく、イギリス軍を疲弊させることとなりました。

 

 

アメリカ独立戦争は、イギリスの敗北としてアメリカ合衆国の独立を認めていますので、この戦いも少なからず影響したのではないかと考えられますね。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

 

このように、簡単に複数の雑学を話しています。

 

 

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今日は七夕!

 

 

すてきな夜をお過ごし下さい

 

 

 

また明日!